3つの質問

3つの質問に対する回答の比較からKENPOKUを知る

2016.10.20 エレナ・トゥタッチコワ
変わらずそこにあるのに常に変貌する山は、沢山の宝物を秘めている

3つの質問に一問一答形式で答えるインタビュー。様々な人たちの様々な「答え」から、KENPOKUの姿と楽しみ方をあぶり出します。第4回目は、アーティストのエレナ・トゥタッチコワさんへの[3つの質問]です。

回答者エレナ・トゥタッチコワ
1984年ロシア生まれ/東京都在住
モスクワでクラシック音楽や東アジアの近代史を学んだ後、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻で学ぶ。自然と人間の関わりや文化的現象を通じて、人間の記憶がどのように形成されるかに関心を抱き、地域のリサーチを重ねることで土地や個人の物語を採集し、写真、映像、テキストによるインスタレーションとして構成する。モスクワ州にある村で撮影したシリーズ《林檎が木から落ちるとき、音が生まれる》(2009-2015)では、自らの幼少期の記憶に対峙した。芸術祭では、大子町の林業に焦点を当てたインスタレーションを実現する。

Q1 県北を訪れて印象に残っていることは?

何年経っても変わらずそこにあるのに常に変貌する山は、沢山の宝物を秘めている

海があって山がある、それは日本列島の客観的な地理的特徴だ。そしてそれは最も象徴的な形として県北に現れているように思う。

地名に残る意味を想いながら、血管のように巡る川によって海と繋がる都市、水戸で県北への扉を開き、水郡線の小さな電車に乗換え、リサーチ場所である大子町に向かっていると、気がつけば、四方を山に囲まれている。それは私の県北へのルートだ。

山側を旅するとき、すれ違う人はかなり少ない。そうすると、必然的に視線は山の方へ登っていく。何年経っても変わらずそこにあるのに常に変貌する山は、沢山の宝物を秘めている。このエリアは、現在まで林業が盛んだが、以前は炭鉱もあったようだ。道路を車で走るときや実際山に入るとき、不思議な形の岩や石によく出会う。自然や風景は、人間の生活や精神にどんな影響を与え、日々の営みにどのように表れるだろうか。県北を訪れる度に考え、リサーチをしている。

Q2 あなたの作品の見どころは?

身体感覚や音感によって山で体験したことを、視覚的に表現する

私は数年前、木に登ったり滝に入ったりして、様々な形で山を体験する(山を遊ぶ)映像を作ることがあった。「山を聴く、山に似る」という非常にナイーブな作品。今回県北で、林業現場を撮影するとき、まるで木に「成る」人間に出会い、そのタイトルを思い出した。「似る」のではなく、「成る」のだ。職人の技術が優れた上に、伐倒するときにまるで木の気持ちになる、まるで木と一体化するような、それはどんなパフォーマンスよりも芸術的(いや、超芸術的)な行為としか思えない瞬間を目撃した。

今回県北では、山で行う作業を日々の営みにしている人々の空間感覚など、彼らが抱く山や木に対する思考について、林業の文化や歴史的な背景を踏まえて、リサーチ・制作をしている。身体感覚や音感によって山で体験したことを、視覚的に表現する、それを今回の作品で志したい。そのとき、一瞬でも山に「成れる」かもしれない。

Q3 芸術祭を楽しむために何か1つ持っていくとしたら?

自分だけのマップ

地図とコンパスを使って、野外の様々な場所に設置されたポイントをスタートからフィニッシュまで通過し、課題の達成や所要時間などを競う、オリエンテーリングというスポーツがある。このゲームは、普段生活する場所で行っても、見慣れた風景を初めてみたかのような新しい体験を可能にする。私たちは慣れた風景を非日常のものとして観察し、その中で新しい発見をするには、やはりある種の形式が必要なのかもしれない。

芸術祭の鑑賞も、それにどこか似ているのかもしれない。会場マップを持ち、順番を決めて、なるべく多くの展示を廻ろうと努力する。今回県北では、例えば、その会場マップに乗っていないが、芸術と思えるもの、あるいは芸術を超えたものに出会えたらどうだろう。そのとき自分だけのマップを作ればいい。結局、芸術祭の範囲も鑑賞のルールも課題さえも、決めるのは自分だけではないだろうか。

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