EVENT REPORT

EVENT REPORT

2016年3月5日、茨城県日立市でひとつのシンポジウムが開催されました。「アートというマジック 見えないものを見せる技」。茨城県県北芸術祭のプレ企画として行われたこのイベントには、芸術祭の総合ディレクター南條史生をはじめ、参加アーティストの落合陽一氏とイアン・カルロ・ハウシャン氏、キュレーターのホセリナ・クルス氏が登壇し科学とアートの魔法性をめぐる、いくつもの“言葉”が交わされました。静かな知的興奮と不思議な予感に満ちた、2時間30分のシンポジウム。この日の会場で紡がれた、印象的な“言葉”たちをレポートします。

  • 落合陽一

    落合陽一

    1987年東京都生まれ/在住
    メディアアーティスト、筑波大学助教、デジタルネイチャー研究室主宰、VRC理事。

  • イアン・ カルロ・ハウシャン

    イアン・ カルロ・ハウシャン

    1986年フィリピン生まれ/在住
    アーティスト、ライター。フィリピンを中心に国内外で作品を発表する。

自然と科学技術が融合していく時代に、何が中心にあるのかといえば、やはり人間性じゃないかと思うのです。

───シンポジウムの冒頭、総合ディレクターの南條史生は、茨城県北芸術祭のアウトラインについて話しました。芸術祭の舞台となる県北地域の地理的・歴史的特徴、参加アーティストたちの個性、茨城県とアートとの関わり……。やがて話題は、芸術祭のテーマのひとつである自然と科学技術の交わりにも及びます。

南條史生

自然と科学技術は対極にあると皆さん思ってらっしゃる。でも実はそのふたつがつながり、融合していく時代だと思うのです。そして、自然と科学技術が融合していく時代に、何が中心にあるのかといえば、やはり人間性じゃないだろうか。そういうことを感じさせられるような芸術祭にできればと考えています。そして、新しいアートやテクノロジーを見て、革新的な発想になってもらえたらいいなと思います。

コンピューターの魔術的なふるまいの先に、我々は新たな自然を手に入れるのではないか。僕はそう思っているんです。

───続いては、芸術祭参加アーティストのひとりで「現代の魔法使い」とも呼ばれる落合陽一氏が壇上に立ちます。応用物理や計算機科学、アートを融合させた作品を手がける落合氏が最初に宣言したのは、メディアアーティストとして彼が取り組む主題についてでした。

落合陽一

ずっと興味があるのは、どうやったら映像と物質の境界を越えられるかっていうこと。我々は今、映像や絵画と呼ばれるようなイメージの表現媒体と、銅像や塑像、ロボットなどの物質的な表現媒体しか知らない。イメージと物質、そのどちらでもないものをどうやって作るのか。それが僕のテーマです。

───この宣言に続き、過去の作品の特徴や、背景にある科学技術や思想などについて話す落合氏。彼が紡ぐ言葉は、未来についての“予感”に満ちたものばかりでした。たとえば、コンピューターと世界の関わり方についてこう話します。

落合陽一

やがてあらゆるものをコンピューターが魔法的に実現していくんじゃないかな。この魔法的というのは、ブラックボックスという意味で、行為と出力の関係性を切り離せるということ。たとえば、スマホのボタンをピッと押したら、遠くのドアがパカッと開く。それは、昔の人から見たら魔法なわけです。コンピューターって、あらゆるものが電気で繋がっているけれど、電気は見えないし、プログラマーが何を書いたのかもわからない。だから、あらゆるものが魔術的にふるまっているかのように思えるわけです。そして、コンピューターの魔術的なふるまいの先に、我々は新たな自然を手に入れるのではないか。僕はそう思っているんです。コンピューターと人間と自然を含んだメタネイチャー。つまり、より大きい自然です。人間もコンピューターも自然物も含んだコンピューターがあって、そこをデジタルで記述するようになるんだろうと、僕は思っているわけです。

科学技術、アート、地域、人、空間……。それらがアートによって接続されていくこと。それは、僕の考えている世界観に極めて近い。

───さらに落合氏は、今回の県北芸術祭の印象についてこう話します。

落合陽一

『Ars(アルス:アートの語源となったラテン語)』という言葉があります。これはテクノロジーとアートがまだ一緒だったときの言葉で、両者を区別していない。僕はアートがやがてアルスになってくるんじゃないかなと思います。今回の芸術祭のテーマって、つまり科学技術、アート、地域、人、空間……。それらがアートによって接続されていくこと。それは、僕の考えている世界観に極めて近いですね。そして、アートがアルスになって新たな文化的枠組みを形成していくならば、我々はその中で何が人間的で何が人間的じゃなかったのか、っていうのを再び定義しないといけないと思うんです。

科学とアートが重なるところに、驚きや魔法が起こる。

───続いては、芸術祭に参加するアーティストのひとりイアン・カルロ・ハウシャン氏が登壇。同氏は自らが手がけたアート作品を例に取りながら、「現実」と「ファンタジー」の境界の“ゆらぎ”について話します。なかでも印象的だったのは、科学とアートの関係性についての言葉でした

イアン・カルロ・ハウシャン

科学とアートは、ご存知のように全く別の分野です。ただ、現実をどうやって拡張していくか、どうやって現実を理解していくか、という目的の上では同じ。両方ともクリエイティビティの実践ということも共通している。そして、科学とアートが重なるところに、驚きや魔法が起こる。時に説明のつかない、現実なのか想像なのかわからないようなものが生まれてくる領域がそこにあると思います。

───魚とプラズマ、石とテスラコイル、植物とロボット……など、自然にあるものとテクノロジーを組み合わせた作品を紹介していくハウシャン氏。彼が作るアート作品は、たしかに現実とも幻想ともいえない不思議な魅力を持つものばかりです。それこそが、ハウシャン氏の考える“魔法”なのかもしれません。同氏は、テクノロジーを「科学を実践するメディア」と定義した上で、こんな言葉で締めくくりました。

イアン・カルロ・ハウシャン

アート、科学、テクノロジーを用いれば、真実をいろんな角度から見て、疑うことができる。ただ、この3つの領域が重なるところに不信感や疑いをいったん保留できる領域がある。私はそれを、“真実の美”と言っています。ここで初めて魔法のような、不思議なものが起こるのではないかと私は思います。

アートはテクノロジーを魔法として読み解くように動かす事ができるという事です。

───参加アーティストふたりによる講演に続いては、キュレーターのホセリナ・クルス氏と総合ディレクター南條史生を交えてのクロストークがスタート。クルス氏は、様々な例をとりながら「優れたテクノロジーは、すなわち魔法としても機能する。テクノロジーと魔法の区別は難しく、それぞれの定義は流動的」という前提に続き、アートの役割についてこう話します。

ホセリナ・クルス

アートというのはテクノロジーと魔法の領域を行き来しながら、そこにある可能性を探求し、実現させるための場として機能することができる。つまり、アートはテクノロジーを魔法として読み解くように動かせるという事です。

───アートと科学、そして魔法をめぐるそれぞれの視点。落合氏、ハウシャン氏、クルス氏の言葉を踏まえた、南條の言葉も印象的でした。

南條史生

今日は、普通のアートの話でもないし、普通の科学技術の話でもない。中間なんですね。ただ、ヨーロッパを見ると、これらは非常に近かったんです。魔法と科学技術、それから錬金術といわれるもの。錬金術は、金を他の物質から作り出そうということを延々とやっていて、それは科学の基礎になった。今我々の知っている科学技術、魔法、アートっていう概念は最近、近代以降の分類なんです。そして、今日の話でも、みなさん境界があまりないという話を言っていたように思います。

───この後もトークセッションでは、多くの言葉が紡がれました。「芸術と美術の違い」、「茨城という土地が持つ魅力」、「作品をつくる上でのクラフトマンシップについて」……。縦横無尽に飛び交う話題は、海と山、自然と人、アートとテクノロジーなど、様々な領域をつないで行われる茨城県北芸術祭のコンセプトを象徴しているかのようでした。―――――どんな芸術祭になるのだろう。静かな知的好奇心と未来への期待をゆっくりと伝播させ、今回のシンポジウム「アートというマジック 見えないものを見せる技」は幕を閉じました。